岡山

【岡山】東日本大震災から10年(その1)

こんにちは、仲達です。
3年生の皆さんは、もうすぐ卒業ですね。
おめでとうございます。さわやかな挨拶
をしてくれたり、一生懸命授業を受けて
くれたりして、とても楽しい1年でした。
どうもありがとうございました。

 さて今日(3月11日)はあの大事件か
ら10年たつ日です。今回は東日本大震
災についてお話させてください。
 場所は、リアス海岸のとても美しい、
岩手県の三陸海岸であった出来事です。

新聞に載っていた、東日本大震災10年
についての記事を紹介します。

     おきらい
娘は、越喜来にずっといる。

   
車いすの女性を
   助けようとして津波にのまれ


浅い海のような青色のターコイズブルー
のピアス。娘の暮らしていたアパートの
がれきの中から見つけた。
母裕美さんからのプレゼントでした。

「あの状態から、こんな小さなものが見
つかるなんて、奇跡だよね」

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   がれきの中から見つかった佳苗さんのピアス

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   被災した越喜来の町

佳苗さん(当時20歳)はサンショウウオ、
ヘビ、カメレオン…。女の子なら逃げだし
そうな生き物が大好きでした。休日には父
の真治さんと爬虫類ショップで目を輝かせ
たそうです。


水族館の学芸員になりたいという夢を追う
佳苗さんが美しい三陸の海に面した北里大
学海洋生命科学部を選んだのは、自然な流
れでした。


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       越喜来の美しいリアス海岸

大学は、岩手県大船渡市三陸町越喜来にあ
り、「越喜来」は「おきらい」と読みます。

由来には「鬼喜来」といった説があります。
平安初期、坂上田村麻呂が鬼討伐(蝦夷の
討伐)で来たからか、それとも鬼が喜んで
来たからか、
越喜来の海は喜びと鬼を抱え込んでいます。


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       復興を願う越喜来の町
 
震災1か月前、帰省した佳苗さんは家族に
こう言い残しました。

「私はこの家に戻らないから、この部屋を
使っていいよ。」母の裕美さんには、ちょ
っと寂しい言葉だったのですが、娘の成長
かもしれないとそのときは、思ったそうで
す。


「佳苗は本当に越喜来が
        好きだった。」


震災の日、なぜ佳苗さんは逃げ遅れたので
しょうか。
夏になって、ご両親のもとに情報が寄せら
れました。

越喜来湾近くの自宅アパートから車
で避難する途中に車いすの女性を見か
け、助けようとして津波にのまれた。


ご両親は次のように言いました。
「娘は困っている人をそのままにしてはお
けない性格...最後は良いことをしたのかな
...。」

行方不明の佳苗さんを探すため、夫妻は東
京の自宅から越喜来まで何度も何度も通い
ました。

宿泊した民宿で、裕美さんはこう声をかけ
られたことが、忘れられないそうです。

「大切な娘さんを預かっています。
       いつでも来てください。」


この言葉に、ふっと力が抜けたと言われま
した。
自分たちも被災しているのに、親身
になってくれる。そんな越喜来の人たちの
もとへ通う内に、
「東京から車で540km。最初は遠いと
思っていたが、今ではいい距離感。娘を嫁
に出してる感覚です。」と裕美さんは思う
ようになったそうです。


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震災から6年後。佳苗さんが暮らしたアパート跡地をたずねた
父の真治さんと、母の裕美さん。


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 悲しみを乗り越えた被災地の成人式(希望への第一歩)

 ”その1”を終わります。ここまで読んでくださり、
ありがとうございます。
 ”その2”に続きます。



 










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