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先生のひとりごと
【岡山】山口県下関の話
こんにちは、仲達です。
今回は、山口県の下関の話です。
愛車ワルキューレは今回も快調でした。
このバイクの諸元を発表します。
排気量1520CC 最大トルク13.2kgf・m
車両重量312kg 最大出力100ps
とても素直なエンジン特性で、長距離ツー
リングも、ストレス無く乗れます。
いつもソロツーリングですが、寂しくなるとSA
で休憩しているライダー達とおしゃべりします。
下関といえば、平氏の滅亡した壇之浦が
有名ですね。
![IMG_2509[1].JPG](/campus/okayama/assets_c/2020/10/IMG_2509%5B1%5D-thumb-450xauto-125408.jpg)
本州の西の端 門司から九州の玄関 小倉まで約1㎞の
関門海峡 写っている橋は関門橋
写真の関門橋をくぐって、すぐが有名な壇之浦です。
壇之浦といえば、平氏が滅亡した場所。
平氏といえば平清盛ですね。
平清盛
清盛が幼いころは貴族が大きな力を持ち、武士は
貴族にひたすら仕える立場でした。青春期の清盛は
武士を使い捨てにする貴族に反発しました。
日宋貿易で莫大な富を得た清盛は、同時に大きな
平氏武士団の戦闘力も持ち、1167年太政大臣と
なり日本の最大権力者になりました。
「驕れる者も久しからず」
(驕ったのは、清盛でなく彼の周辺部
の者だったのですが…。)
驕(おご)りのため、貴族や武士の支持を失った
平氏は、1185年に壇ノ浦で源義経によって滅
ぼされました。
ジャンプして飛びかかる義経
軍船のいかりで,義経の攻撃を受ける知盛(とももり)
壇ノ浦の戦いで、平氏は武運つたなく滅亡
します。
二位の尼徳子(とくこ:清盛の娘)は幼い(4歳ぐらい)
安徳天皇を抱いて燃える軍船から海に身を投げました。
「お上(天皇の敬称)、波の下にも都はご
ざいます。」と言って…。

平氏武士団は、どんなに攻め込まれても後ろを見せず
戦いました。まさに「鬼神のこの壮烈に泣く」
ごとく。
平氏の栄華から滅亡までは、その儚(はかな)
さから武士の心を打ち、「平家物語」として後の
世に語られました。
「平家物語」も授業で取り上げたい題材です。
入学相談会
秋の体験授業受付中
相談会はオンラインでも
実施しておりますので
ご希望の方は下記まで
お気軽にお問合せください。

今回は、山口県の下関の話です。
![IMG_2143[1].JPG](/campus/okayama/assets_c/2020/10/IMG_2143%5B1%5D-thumb-450xauto-125456.jpg)
愛車ワルキューレは今回も快調でした。
このバイクの諸元を発表します。
排気量1520CC 最大トルク13.2kgf・m
車両重量312kg 最大出力100ps
とても素直なエンジン特性で、長距離ツー
リングも、ストレス無く乗れます。
いつもソロツーリングですが、寂しくなるとSA
で休憩しているライダー達とおしゃべりします。
下関といえば、平氏の滅亡した壇之浦が
有名ですね。
![IMG_2509[1].JPG](/campus/okayama/assets_c/2020/10/IMG_2509%5B1%5D-thumb-450xauto-125408.jpg)
本州の西の端 門司から九州の玄関 小倉まで約1㎞の
関門海峡 写っている橋は関門橋
写真の関門橋をくぐって、すぐが有名な壇之浦です。
壇之浦といえば、平氏が滅亡した場所。
平氏といえば平清盛ですね。

平清盛
清盛が幼いころは貴族が大きな力を持ち、武士は
貴族にひたすら仕える立場でした。青春期の清盛は
武士を使い捨てにする貴族に反発しました。
日宋貿易で莫大な富を得た清盛は、同時に大きな
平氏武士団の戦闘力も持ち、1167年太政大臣と
なり日本の最大権力者になりました。
「驕れる者も久しからず」
(驕ったのは、清盛でなく彼の周辺部
の者だったのですが…。)
驕(おご)りのため、貴族や武士の支持を失った
平氏は、1185年に壇ノ浦で源義経によって滅
ぼされました。
![IMG_2511[1].JPG](/campus/okayama/assets_c/2020/10/IMG_2511%5B1%5D-thumb-300xauto-125471.jpg)
ジャンプして飛びかかる義経
![IMG_2506[1].JPG](/campus/okayama/assets_c/2020/10/IMG_2506%5B1%5D-thumb-300xauto-125469.jpg)
軍船のいかりで,義経の攻撃を受ける知盛(とももり)
壇ノ浦の戦いで、平氏は武運つたなく滅亡
します。
二位の尼徳子(とくこ:清盛の娘)は幼い(4歳ぐらい)
安徳天皇を抱いて燃える軍船から海に身を投げました。
「お上(天皇の敬称)、波の下にも都はご
ざいます。」と言って…。

平氏武士団は、どんなに攻め込まれても後ろを見せず
戦いました。まさに「鬼神のこの壮烈に泣く」
ごとく。
平氏の栄華から滅亡までは、その儚(はかな)
さから武士の心を打ち、「平家物語」として後の
世に語られました。
「平家物語」も授業で取り上げたい題材です。


秋の体験授業受付中

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086―226―1237
(月曜日~金曜日 9時~18時 土日祝休)
okayama@hchs.ed.jp
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