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先生のひとりごと
【岡山】群馬県・富岡製糸場の話
こんにちは、仲達です。
前回は,会津の鶴ヶ城と白虎隊の話でしたが、
今回は、さらにそこから岡山に帰る途中に寄った富岡製糸場の話です。
![IMG_2936[1].JPG](/campus/okayama/assets_c/2020/09/IMG_2936%5B1%5D-thumb-450xauto-122656.jpg)
実は、このバイク相当重く、転かすと一人で起こせません。
そしてついにやってしまいました。
群馬県富岡市の山の中を走っているとき、
宿屋直前で道に迷い,細い山道でUターンしているとき…カクンと
エンスト。
そのまま倒してしまいました。
一時間ほどたって軽自動車が通りかかり、バイクを起こすのに力を貸
して欲しいと頼んだところ、快く応じてくれました。感謝です…!
では、富岡製糸場についてお話しします。
![IMG_3033[1].JPG](/campus/okayama/assets_c/2020/09/IMG_3033%5B1%5D-thumb-450xauto-124831.jpg)
![IMG_3037[1].JPG](/campus/okayama/assets_c/2020/09/IMG_3037%5B1%5D-thumb-450xauto-124836.jpg)
小さな東洋の国が、明治の開花期を迎えていました。
帝国主義全盛期の列強がアジアに押し寄せてくる中、日本は
独立国家であるために、新しい国づくりを成功させなければ
成りませんでした。
列強に負けないためには、技術力を磨き産業を奮い興し、国を富
ませるのが一番です。この工場もその一環として、明治5年
に創設されました。

なれない機械で、生糸をつむぐ農村の娘たち

頑張って技術を身につければ、給料がうんと上がって、
親や幼い兄弟たちを助けることができます。
明治の日本で唯一世界に通用するものは生糸でした。
農村の娘たちの繊細な手で紡(つむ)ぐ生糸は、世界一の品質で、日本
の輸出を支えました。さらにその生産を、新しい工場の機械が支えまし
た。
一等工女になれば、月給25円。夢のような給料でした。
(おおざっぱに言うと当時の1円は今の10000円)
![IMG_3034[1].JPG](/campus/okayama/assets_c/2020/10/IMG_3034%5B1%5D-thumb-400xauto-124844.jpg)
工場のレンガは日本人の瓦職人が焼き、レンガを固定する
白い部分は日本伝統の漆喰(しっくい)を使用しました。
また、工場の蒸気機関は関東山地の石炭で動かしました。
明治の日本人の面白さは、ヨーロッパの知識や技術をただ入
れるだけでなく、自分たちのすでに持っている技術や知識を応
用して、自由自在に使いこなし、さらに良いものにしていこう
としたところです。
![IMG_3044[1].JPG](/campus/okayama/assets_c/2020/10/IMG_3044%5B1%5D-thumb-450xauto-124846.jpg)
女工さんたちは、上の写真の寮に住み毎日一生懸命働き、そのうち
綿織物工業も機械化され日本の産業革命は成功していきました。
このようにして、小さくて貧しい、しかし若い国日本は着々と近代化を
進め、政治・教育・経済・軍隊のあらゆる面での近代化を成功させていくので
す。
これは、アジアの大きな奇跡となりました。
(このことが世界に認められ、2014年6月、富岡製糸場は世界遺産に登録されま
した。)
授業で、少しでも明治の面白さを伝えることができればと思っていま
す。
入学相談会
秋の体験授業受付中
相談会はオンラインでも
実施しておりますので
ご希望の方は下記まで
お気軽にお問合せください。

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今回は、さらにそこから岡山に帰る途中に寄った富岡製糸場の話です。
![IMG_2936[1].JPG](/campus/okayama/assets_c/2020/09/IMG_2936%5B1%5D-thumb-450xauto-122656.jpg)
実は、このバイク相当重く、転かすと一人で起こせません。
そしてついにやってしまいました。
群馬県富岡市の山の中を走っているとき、
宿屋直前で道に迷い,細い山道でUターンしているとき…カクンと
エンスト。
そのまま倒してしまいました。
一時間ほどたって軽自動車が通りかかり、バイクを起こすのに力を貸
して欲しいと頼んだところ、快く応じてくれました。感謝です…!
では、富岡製糸場についてお話しします。
![IMG_3033[1].JPG](/campus/okayama/assets_c/2020/09/IMG_3033%5B1%5D-thumb-450xauto-124831.jpg)
![IMG_3037[1].JPG](/campus/okayama/assets_c/2020/09/IMG_3037%5B1%5D-thumb-450xauto-124836.jpg)
小さな東洋の国が、明治の開花期を迎えていました。
帝国主義全盛期の列強がアジアに押し寄せてくる中、日本は
独立国家であるために、新しい国づくりを成功させなければ
成りませんでした。
列強に負けないためには、技術力を磨き産業を奮い興し、国を富
ませるのが一番です。この工場もその一環として、明治5年
に創設されました。

なれない機械で、生糸をつむぐ農村の娘たち

頑張って技術を身につければ、給料がうんと上がって、
親や幼い兄弟たちを助けることができます。
明治の日本で唯一世界に通用するものは生糸でした。
農村の娘たちの繊細な手で紡(つむ)ぐ生糸は、世界一の品質で、日本
の輸出を支えました。さらにその生産を、新しい工場の機械が支えまし
た。
一等工女になれば、月給25円。夢のような給料でした。
(おおざっぱに言うと当時の1円は今の10000円)
![IMG_3034[1].JPG](/campus/okayama/assets_c/2020/10/IMG_3034%5B1%5D-thumb-400xauto-124844.jpg)
工場のレンガは日本人の瓦職人が焼き、レンガを固定する
白い部分は日本伝統の漆喰(しっくい)を使用しました。
また、工場の蒸気機関は関東山地の石炭で動かしました。
明治の日本人の面白さは、ヨーロッパの知識や技術をただ入
れるだけでなく、自分たちのすでに持っている技術や知識を応
用して、自由自在に使いこなし、さらに良いものにしていこう
としたところです。
![IMG_3044[1].JPG](/campus/okayama/assets_c/2020/10/IMG_3044%5B1%5D-thumb-450xauto-124846.jpg)
女工さんたちは、上の写真の寮に住み毎日一生懸命働き、そのうち
綿織物工業も機械化され日本の産業革命は成功していきました。
このようにして、小さくて貧しい、しかし若い国日本は着々と近代化を
進め、政治・教育・経済・軍隊のあらゆる面での近代化を成功させていくので
す。
これは、アジアの大きな奇跡となりました。
(このことが世界に認められ、2014年6月、富岡製糸場は世界遺産に登録されま
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(月曜日~金曜日 9時~18時 土日祝休)
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